萌の朱雀

eupketcha2010-09-30


何か今更って感じで済みません。僕の実家の近所の映画ですのに、「絶対途中で寝るんじゃないか」とか、自分の文芸映画コンプレックスが復活するんではないかなどといぶかったりしながら、今まで観ずにおいてあったんです。最近、尾野真千子さんをメディアで見かけることが多くなってきたこともあって、ついツタヤディスカスに応募したら、あっさりと到着。それでも見ようか見まいかなどうだうだとめくるめくしているうちに、1月くらい放置してありましたが、自分の体調が悪くなったことにかこつけて、早めに帰宅し観てみました。

いや、でも普通に素晴らしい映画でした。西吉野の自然の美しさとともに、その根底に流れる閉塞感が切実に描かれてあって、必要最小限に淡々と事態が進行していく。この淡々感を飽きさせない美しいカメラワークがとにかく凄いなと思っていたら、撮影はあの田村正毅氏でした。この映画1996年頃作られたみたいだから、当時僕は中学生くらいか。うちの近所で田村正毅が撮影していたんだなと思うと何か感慨深いです。出演者の演技もみずみずしくって、それこそオリヴェイラや、ストローヴ・ユイレや、エドワード・ヤンなんかの映画を思い起こしました。ああ、日本でもこういうことできるんだなと。そしてこの映画が撮られて、きっちりカンヌで新人賞という評価されていたのにも関わらず、この15年くらいこういうみずみずしい映画が日本果たしてでできていたのだろうかと、何ていうことまで思ってしまった。賞を生かすっていう文化が日本にはないよね。と、これは脱線。

この映画の一つのテーマとなっている五新線計画廃止っていうのは本当に僕の実家周辺地域の大きな痛手だったようです。僕も幼少期に川に偉容をたたえていた五新鉄道の橋脚が撤去されていくのを見つめ、ああこの町は見捨てられていくのかと、おさな心に思ったものでした。さらにその後も五條へ来るJRの本数も減らされ、南海電鉄乗り入れの話もときどき思い出したように熱を出しては、木っ端みじんに消火されていきました。その見捨てられた感の強さから、僕自身あまり実家に戻る気がしないから、事実上家族離散で、何か映画とかぶるなあと思うと、ちょっと泣けた。

國村準さん以外は、尾野さんはその後有名になったけど、みんな地元の素人俳優だったようで、うちの親父なんかこの人知ってるよって感じだったし、高校の後輩にも出ている人がいました。この村の住民だった高校の同級生は出演してはいないけど、村でみんなで鑑賞して大爆笑だったとか。確かに知っている人が観たらほほえましいよなあ。特にお婆ちゃんがいい味出しまくっていたけど、あの人は普段何しているんだろうか。あのお婆ちゃんのラストシーン、あれは本当田村正毅しかできないと思う。ところで田村さんは最近「たむらまさき」名で活躍されているのね。知らなかった。