どこまで厳しいのか チェンジリング

待ちきれなくて初日に観てきました。クリント・イーストウッドチェンジリング』。クリントはお世辞じゃなく、神の領域です。素晴らしい映画でした。

お馴染みの青を基調とした、光と影の境界線がぼやけるフィルム、左右にゆったりと揺れるカメラ、そして妙に暖かみのある音楽。これが導入から最後まで淡々と続きます。映画は親子のドラマで始まって、ミステリーものになり、サイコスリラーになり、精神科病棟ものになり、法廷ものになりと、相当めまぐるしく展開しているはずなのに、クリントは焦らず慌てず、あくまでも厳格に淡々と、「眼をそらしてはいけない」と思われるものだけを拾って撮っていく。その姿は想像するだにあまりにも格好よく、そして、厳しい。特にクライマックスがないのではなくて、全てのシーンがクライマックスとなっているのです。僕はあまりに腹立たしくて怒ったし、あまりに怖くて震えたし、あまりに嬉しくて胸がすく思いがしたりと、自分の感情の収集にただただ忙しかった。全く時間を感じさせなかった、しかしどっぷりと疲れきった。



メモ:アンジェリーナ・ジョリーはやっぱ演技うまいわ。映画の中で、彼女がアカデミーを予想するシーンがあるが、今年のアカデミー発表は米時間の今日の夜。下馬評ではケイトウィンスレットが取るようだが・・。ちなみに1934年度のアカデミーを撮ったのはあのキャプラの「或る夜の出来事」!この映画は「希望」に関する映画でもあったのだ。
それからLAに関して。LAの古い町並みを写真を旨く利用して再現していたが、あの議会か司法か何かのビルは今でも残っていて、やはり四年前アメリカ横断旅行を敢行したときに訪れたことがあります。あのときあのビルの屋上で僕はとてつもなく恐ろしい体験をしたのですが・・それはまた別の話。