ブロンド少女は過激に美しく

eupketcha2010-11-06


マノエル・ド・オリヴェイラの新作、ブロンド少女は過激に美しく(Singularidades de Uma Rapariga Loura)を観てきた。
何と言っても、汽笛の音から導入される目の覚めるような冒頭の心地よさを過ぎて、オープニングロール、画面の左下隅で心理的に追い詰められている様子の主人公の心地悪さをたっぷりと見せつけられ、語りかけるための理由付けが必要最小限の演出でなされた中で、ちょっと老けてしまった感のレオノール・シルヴェイラ演ずる婦人に話しかけるという非常に納得ずくの展開ののち、回想の最初のシーンとなったとき、ゾクリとするような緊張感の中でブロンド少女がすうっと現れる、この空気、この緊張感、本当に素晴らしかった。陳腐な表現だけど、ハートを打ち抜かれるって言うか。もうこの時点でこの映画見てよかったと思う、もう満腹になってしまったのだ。しかし少女の持っている扇も中々に美しい。と、婦人がたしなめる「でも、心を奪われたのは扇ではないはず。」
こうやって書いていると僕の貧困な発想で、つい思い出すのは楳図かずお漫画だ。外見上の美しさとシチュエーションからあっさりと恋に落ち、身を滅ぼす男の回想譚なんていかにも楳図さん書きそうじゃない?何となく結末が分かりながら、その先が気になるという展開。恋のためにやや滑稽ともとれる行動をする主人公(映画では心躍る余り本当に踊り出してしまうっていうものすごいシーンもあり)に馬鹿なと思いつつ、うすら寒くなるというのも似ている。そういえば~~少女っていうタイトル自体、楳図漫画っぽいし、まさかひょっとして、、いやまさかね。
途中、主人公とブロンド少女が初めて会話をするパーティーのシーケンスの緊張感も素晴らしかった。固定キャメラの多いオリヴェイラにして非常に珍しい(と思うけど違ったかな??)横移動映像が堪能できる。ペソアの詩をシントラが朗読する。「世界の不幸は 善意であれ 悪意であれ 他人を思うことから生じる・・・・
撮影時100歳を迎えた巨匠。最近漸く老けたのかなと思ったりもしていたが、その認識は誤っていた。