恐怖のメロディ

eupketcha2010-05-15


 ジョニー・トーオリヴェイラ、そして三池の新作が東京では上映中。矢も楯もいられない末期です。我慢できない欲望を、たまった映画感想で消化するコーナー、今回はインビクタスを観た流れでEastwoodの処女作をやっと観てみたというお話。この映画、“PLAY MISTY FOR ME”は、記念すべきクリント・イーストウッドのファーストなんだけど、ストーカーものの、まあホラー系なんです。刑事モノとか、西部劇とか、明らかに彼が映画化するに「らしい」ジャンルを選ばずに、まずホラーを選ぶところが、やっぱこの人はじめからひねくれてるわとなんか納得。
 演出も比較的地味で、慎重な感じも流石という感じですが、何というかいかにもファーストらしい、揺れるキャメラとか、クローズアップとかも一応使ってみていて、ああこういうのは誰しもがやってみたくなるもんなんだとか、彼なりに苦労したんだなとか、妙に上から目線な気持ちになってしまうのもファーストを観る面白さかもしれませんね。途中で一端恐ろしいストーカーが街を去って一同安心した時間が流れるシーンがあるんだけども、ここにとんでもなく恥ずかしいナルシスティックなラブシーンが挿入されるのとか、うわ、やっちゃってるなって。しかし、それも伏線であって、恐ろしいラストに向かうわけですが、ラストかなり怖い演出が達成されていて、お見事でした。
 途中に広角な主観視点で、包丁が振り下ろされるシーンがあるけど、これ本当に生理的に怖いよね。あまり主観視点好きではないけど、効果的に使われた例と言えるかな。でもちょっと夢っぽいんだよね。金縛りみたいに、口が動かせないし、手足も動かせない制限付きの主観だから。このシーンも夢かと思ったら、あとで警察に証言するシーンで、あっ現実だったんだなと思う。色んな映画で突如主観画像が出てくると、何か急に流れが止まるというか、なぜ急にとか思うことがよくある気がするな。そんなことを観てて思いました。
 あと、写真の左側に本当はバーテンダーが立っているんだけど、これ実はドン・シーゲルなんだよね。この年にダーティ・ハリーが作られて、そしてその作中にPLAY MISTY FOR ME上映中の映画館が出てくるのは有名な話とか。