2009年9月17日 Angiographer末期 

ここ二ヶ月は駆け出しのInterventional radiologistとして、珍しく治療に携わってみた。久々に怒鳴られたり、汗かいたり、昼飯おごってもらったりと言った体育会系日々を過ごした。
最近は木の枝振りも血管走行に思えてくる。あの枝の曲がっているところはちょっと越えにくいからナデシコを使おうかみたいなことを考えながら、歩いている。
はじめはしなやかなワイヤを清潔野の中でうまく受け取るのも覚束なくて、何でこんなこともできないんだと陰で落ち込み、更衣室で一人涙し、使用済みのものを盗んで来て、うまく掴めるように必死で練習したりと言った、私にして不相応に涙ぐましい日々を送った。
最近はCTが発達して診断目的の血管造影は少なくなって、若いradiologistは、なかなか普段やる機会もないままに、いきなり緊急Angioに立たされるかもしれないなんていうのが、恐ろしい現状なのである。
自分一人のときでも果たして自信を持って出血を止められるのか。
治療するというのは本当に恐るべき権利と義務だと、治療をしばらく離れて一層に思う。