生霊

週末にどこからともなく現れた神出鬼没の親父に会ったら、今日限定使用のタクシーチケットを二枚くれて、珍しく格好よく去っていったので、さあどこにいこうかと、鼻歌でも歌いながら、相も変わらず貧困な発想の僕は、K病院医師らに仕込まれた「偽」の本能でもって、六本木ヒルズに向かい、「馬鹿は高いところ好きだから」よろしく、52階まですいっと上った。
そこで出会ったのは「Live Evil」と題された一つの作品である。壁に掛かったわずか5cm四方の小さな覗き窓のようなブラウン管の中で蠢く、キリギリスの化け物のような生命体、“Live Evil”。逆から読んでもLive Evil。これは、実は画像編集を加えられ、まるで真ん中に鏡をおかれたような状態でthrillerを踊るマイケルジャクソンなのだ。
2002年にこの作品が発表された当時、確かにマイケルにとっては、既に「変人」としての悪しきイメージが完成された時期であったと思う。マスに文字通り踊らされ、「普通」を知ることなく育ってしまったポップの怪人マイケルジャクソン。作者はこのイメージをうまく利用し、このおぞましきい芸術を考案し、5cm四方の「マス」の中から現代という時代そのものをおびやかしたのである。まさに現代美術的な、解釈論的芸術だ。タイトルは「Live Evil」。日本語名は生霊という。
しかし、2009年の7月にこの作品は、僕の目の前で明らかに、更に怪しい輝きを放っていた。お分かりの通りもはやこの怪物は生霊ではなく、死霊となってしまった。時代に殺された死せるEvil。時間とともに作品が、新たな意義を持ち、解釈を変え、もはや作者のものですらなくなってしまう。この作品にいたってはこの展覧会が始まる前と今という短期間で完全に180度変貌を遂げたのである。これが現代美術の真髄であり、危うさであるのだと思った。そのあまりの解釈依存度は、まるで麻薬のような中毒性がある。麻薬に酔いながら、(微量のLSDの入った噴水で泳ぐ夢を見ながら)、僕たちはどこへ行ってしまうんだろうかと不安になった。
それから52階あっという間に降りて地上に立ち、残りのチケットを一枚を使って帰宅した。