団地萌え

eupketcha2009-01-18


その病院は東京の北の端の、「団地」の中にあったのだ。私、実はドキドキ「団地」初体験である。
病院にはもっぱら「団地妻」たちが、仕事に出かけた旦那さんには言えない悩みを抱えてやってくる・・なんてドキドキしていたら、高齢者ばかりであった。

70年代初頭、迫りくる人口増加問題に呼応して、容積率をめいいっぱいに活用し且つ、駅の近くに多くの人口が住めるという「夢の街」として作られたその団地。
武蔵野の緑に囲まれ、子供を育てる環境としてもばっちりなその町に、高度成長期の波に乗る若者たちが押し寄せたに違いない。
そして彼らは「アカルイミライ」を抱きながら、仕事に向かう30分強を都営三田腺に揺られた訳である。
40年経ち、容積率がめいいっぱいの団地はかなり手狭であるし、再開発が非常に難しくなってしまった。
彼らの子供たちは臨海地区の開発や、都心の再開発で、もっと便利なところに住めるようになっていた。
老人たちが残った。空き室も目立つ。

Wikipediaで観ていると「団地萌え」っていう言葉もあるらしい。
この延長線上に「工場萌え」とか、「廃墟萌え」とかが続いていく・・。昭和に忘れてきたような風景。
黄昏の人寂しい団地をながめながら帰路に着けばその気持ちも分かる気もする。
なお、80年代には日本全国から自殺者が集まる「名所」であったということもwikiに記されている。

まあ考え方を変えて、建て替えできないなら、ちょっとおしゃれな改装をして、若者むけに安く賃貸する路線にするといいのになと思う。
「団地」という言葉に、なんかこう変わった魅力を感じる人たちは少なからずいるような気がする。(根拠なし)
建物の下にスーパーとかあって、なんでも揃うし、駅近だし、意外にいけるんじゃないかとおもうけどなー、公園とかでロックバンドとか誘致したりしてー。
ってそんな話をしていたら、
「でも、山手線まで30分かかりますからね。しかも着いても巣鴨ですからね。」
と地元民は冷ややかであった。