2008年の終わりに

待望であった精神神経科を研修した。初期研修医・専門研修医で患者さんを分担するので、一人あたり多くて三人程度の症例しか持たないチラ見感の漂う研修で、当病院でも指折りの「寝研修」という噂はさて噂通りなんだけども、人間を見て、精神を構成する要素を分解して、この人の脳みその神経連関がどうなっているかなどと、「経験科学」的に空想するという作業は、ある種、映画を観る行為と共通するものを感じて、楽しんだ。これはたとえ内科や外科でばりばり働いている医師が「あいつら、何あやしいことやって科学とか言ってやがるんだ。」ともっともな批判をされて肩身の狭い思いをしたり、さて僕は六年間勉強してきた医学というものは何であったのかしらんと心が寒くなる思いをしたとしても、それに耐えても楽しめる、奥深い味わいであった。

この三年間程はその楽しみに気づかず、いつのまにか精神神経科に進むことはあまり考えなくなっていたものであった。今年の4月に研修していれば入局したかもしれないと思った。診療科を決めるその心のいかにはかないことか。まだ微妙に間に合うかもしれないこの時節柄が呪わしい。こうして僕は仕方ないので、精神神経科に進まないnegative campaignという今までに何度となく繰り返してきたストレスフルな作業を、自分の心に釘を打ち込むがごとく再開し、さらに自分が進む道を正当化する意味で、とある別の診療科(ここに進むわけではない)の忘年会で、その教授に自分の将来の道筋を吐露してしまった。しかし、この教授は思いのほかにあっけなく、「そういうことなら僕は○○した方がいいと思う」とあっさりとしかし確実に僕の進路を否定した上で、「まあ君は君の人生を生きたまえ。僕は気にしないから。」と言われてしまったのであった。言いようのない寂しい思いがしてそそくさと忘年会の開かれた旅館から、逃げるように帰路についた。寒波に乗って夜風が吹き荒れていた。その忘年会の開かれた旅館はかつて僕が中学校の頃、「T大見学」と称してみんなで訪れたところで、現在の自分のある遠因となった場所であることを思い出していた。