水びたしの東京、フェルメール

六月生まれのせいか雨はあまり嫌いではない。雷は昔から観戦するタチだ。洗濯物が溜まる。
湿気た洗濯物に囲まれた部屋の中で、雷を鑑賞しながら、勉強するというのは、ある意味僕の中では理想的な環境であったりする。
雨上がりの雲間を抜けて、上野まで歩いて、フェルメールを見てきた。
17時までの開演時間なので、16時に入って一時間くらいしかなかった。余計な絵はほとんど見ずにフェルメールばかり見ていた。美術館に入った頃にはばけつをひっくり返したような雨が降り始めていた。
芸術新潮の「なぜか気になるフェルメール」というキャッチコピーが直感的にそうだよな、と頷かせる。
例えばこの絵一枚一枚がある映画のワンシーンとして、予告編に登場すれば、それを観た僕は、もの凄く気になって、早く観たくてたまらなくて夜も眠れなくなってしまうだろう。
彼の絵のセンスがいいなとまた発見したところは、顔を敢えて微妙にピンボケさせているとことろだ。
ピントはときには、背景の壁に当たっていたりする。
この両眼視では観れない世界、顔の淡さ、届きそうで届かないものを日常の視線に巻き込ませる行為とでも言おうか、そういう精神が、ただの日常の風景画を越えていっていると感じた。
17時直前には客もまばらになり、ほとんどフェルメール独占状態であった。
外に出るとまだ雨が降っていたので、動物園の前の屋台で、ラムネとビニール傘を買って帰った。