午後四時

どういうわけか、午後四時は午後五時よりも午後三時から離れているような感覚がある。平たく言えば「まだ午後三時だ。」と思っている内にただ一時間経っただけなのに「もう午後四時かよ。」となる現象のことである。同じ一時間であるのに午後三時から午後四時までの一時間は一日の中であまりにも貴重であり、それが失われた途端に、急にメロウな気分に陥る。黄昏という言葉にはそういう郷愁も少なからず含まれているに違いない。午後五時になってしまえば開き直って晩ご飯を楽しみに生きて行けるだろうが、午後四時はそんなに甘くはいかない。午後三時が、たった一時間前が、一体どこへ行ってしまったのだろうか。俺の午後三時を返してほしくて、その不可能さにあまりにも切なくなるのが午後四時なのである。

この午後四時感覚に非常に近い印象で、二十五歳というものを受け止めている。昨日までの二十四歳があまりにも惜しすぎる。これは二十三→二十四とは全く違う感覚である。三十路が急に近くに見え、二十四は遥か彼方に行ってしまった。残念だ。