下駄の降る日・夢

 卒業試験もヤマを越えてきました。ふと空を見上げると大きな下駄が、どんがらがっしゃん景気のいい音をして降ってきました。あっちにも。こっちにも。あれよあれよと言う間にもう一面の下駄世界。しかし、どういうわけか下駄が降らない半径1mがあって、それはまさに僕のいる場所の目の前であり、Nが倒れているではありませんか。「そうか、お前さんが人柱になってこの下駄を降らしてくれただか。せい、ありがてぇこったな。この恩は一生忘れねぇでもっす。」Nは息も絶え絶えである。そして無情にも下駄は彼の周囲には降ってこない。


 今日はよく寝た。夢を見ました。中国のどこかの川沿いの街が水没するまでの壮大な物語。いつも遊んでいたビル街が政争とか、町の風習とかくだらないバカ騒ぎの末に、水没していく。その様子をただ見つめる女の子が自転車に乗って去って行くのがラストシーン。ビルが次から次へと流されていくのがあまりにも美しく、その真ん中を自転車で突っ走って行く少女の姿に心打たれ、自分の夢に感動してしまいました。ここで目が覚める。余韻に浸りたくて二度寝する。すると、今度はかなりエログロナンセンスなゾンビものホラーでした。24時間だけ限定で死者が蘇れるようになって、女の子が蘇ってすっかり嬉しくなって海に行ってしまう。楽しげに海で泳ぐ死者たち。あれよあれよと時間は過ぎてしまって、急いでお墓に帰ろうとするんだけど、だんだん体がとれて、腐って来てしまって、車とかにひかれたりして、もうこんなんじゃ誰も埋葬してくれないよ、どうしようかという話でした。二度寝なんてするもんではないですね。

 
 そういえば、昔から世界が崩壊するような夢、あるいは崩壊したあとの世界のような夢ばかり見てる気がするな。統合失調症の方がたまに感じるという世界没落体験の延長線上にあるものなんだろうか?よくわかりませんが、ただ言えることはそういう気分に浸れる映画や小説が好きだということです。「よく観る夢」と「好み」というのは何らかの関係があるかもしれない。そして好きだから夢に観るというのはもっともらしい説明かもしれないが、夢に観るから好きになるということもありえるかもしれない。一目惚れなんかもおよそこういう機序で成り立っているかもしれない。そんなことを考えました。