ギル・エヴァンスと体調不良

 ギル・エヴァンスの個性と発展+5  パリ・ブルース  Out of the Cool

 金曜の夜から日曜の朝まで飲んだくれていたら見事に体調が悪くなった。あれだけここ数ヶ月病気の勉強をしてきながら、自分の病気の鑑別もおぼさかなくて情けなくなる。流行っているということで、とりあえず「感染性胃腸炎」ということにした。そういえば、金曜の夜に少し危なそうな魚を喰らった。あの魚をともに喰らった人たちが同様の苦しみを共有していれば、診断は確定的か。ともかく、日曜私は、「げ」のつく症状に一日中苦しめられたということだ。それでも試験勉強をしなくてはならない。こういう状況におかれると人は世界を憎む。孤独を感じるのだ。そこでギル・エヴァンスということになる。


 ギル・エヴァンス、ジャズの世界のビッグ・ネームの中でここまで孤独とか孤高という言葉で語られる人も珍しいだろう。64年の「The Individualism of Gil Evans」(邦題:ギル・エヴァンスの個性と存在)、このタイトルからしてかなりやばいし、ジャケットもおぞましいが、曲はさらに張り裂けんばかりの孤独だ。3曲目「Las Vegas Tango」におけるそれなんかは、いたたまれずに目頭が熱くなる。


 ギルの孤独にひたりながら発熱や嘔気といった身体症状を耐え忍び、ウイルスの攻撃から解放されるのを待望していると、ここ数日の不愉快な出来事たちも楽しい思い出だ。日曜の夜、僕とジャズの好きな先輩と、もう一人元ヤンの女の子と飲んでいた。元ヤンの女の子は僕と先輩がギルの晩年の傑作「Paris Blues」について熱く語っているのを不怪訝な顔してみつめていた。「よく自転車盗んで帰りました。T大の人は不用心ですね、キャンパス内では安全だと思っているんですね。でも帰りにはよく警察に止められるんです。そこでどうするかっていうと、『しんしょう』のフリをするんですよ。ふえーっ、ふえーってずっと言っていると、警察の人もあきらめてくれるんです。」『しんしょう』って何なんだろうかって、思い当たる節はあったが、とりあえずあまり恐ろしいので特に聞き返さず、『志ん生』だと思うことにした。この子にギルなんかを聴かせるのがそもそもよくなかったのだ。この子の父親は族出身のサラリーマン、この子の母親はやっぱり元ヤンである。


 木曜の夕方のマーメイドカフェで久々にあった後輩は大江の「万延元年のフットボール」を読みながら、割と大きめの声で自分の身の上話を吐露し始めた。近親相姦とか、母親の病気とか、父親の失踪とか、それはそれは壮絶な身の上話で唖然とした。しかし、それ以上に唖然としたのはそのことを話す彼の声の大きさだ。周囲の客は明らかに彼らが取り組んでいることに対して集中力をそがれたにちがいない。「それで、僕は親を事実上殺したんですね。eupketchaさんも殺したりしないんですか?」


 そういえば、うちの親は。うちの親は実のところは随分仲が悪かったのかもしれない。そして父親は仕事とゴルフ、母親は仕事と家事で追われていた。まあありがちな感じだな。無駄に買われていたクラッシックのCDの山とか、美術に関する本、文庫なんていうのは実はうちの人間は買うだけ買って誰一人一切、手をつけなかった。今考えればそれはみんながみんな多少鈍感すぎた。唯一音楽的センスがあったかに思われる姉は、買い与えられた大量のゲーム機によって浸食されてしまった。ある年齢から僕はその鈍感に気付き始め、そこから脱出する方法を色々企図しはじめた。例えば映画とか。家が広かっただけに殺すまでもなかったのか。よく見れば逃げ場はたくさんあったのだ。親殺しせずにすんだ。