部屋の片付けをしている

eupketcha2006-09-17


部屋の片付けとは、自己の理想と現実がせめぎあう非情な自己批判という名の戦場である。僕は大学生活の6年間で幾度となくこの戦いに挑みそして敗北していったー


旅行は結構したが、旅の終わりに必ず考えるのが部屋の片付けのこと。それは旅で意外にもシンプルに生きて行ける自己を悟る(あるいは錯覚する)からである。あの、部屋の景観をつねに壊しているあの本も、プリントの山も、服も、時計ももういらない。早く帰って一切合切ゴミに出してしまいたい。帰りにたくさんのゴミ袋を買おう、部屋のほこりというほこりを一刻も早く追い出そう。いてもたってもいられず、僕は帰路を急ぐ。


///部屋に入ると部屋中の事物が僕の殺気を感じとっているかのように好印象をふりまく。「お帰りなさい。お疲れでしょう。ゆっくりしてね。」その優しさにまず動揺しつつも、まだ心は変わらない。ふふふ、僕が旅の終わりにどれほど君たちに対して憎悪と殺意を抱いて来たかも知らずに呑気なもんだ////


整理した部屋の青写真は理想に彩られている。そしてその理想とは大抵部屋にあるものを50%くらい処分しないと成り立たないのである。落ち着いて改めて考える。やれるだろうか、きっとやれるさ。今までどれほどこの苦しみに耐えて来たことか。今日こそは。自分を奮い立たせて、高邁なる理想に向かって偉大なる小さな一歩を踏み出したその瞬間、部屋中の事物という事物が一斉に牙を剥く。「まさか、俺を捨てないだろうな。」ときには涙を流して哀願する。「どうか私を捨てないで。」僕はほこりが舞いたつ戦場でただひとり、一型アレルギー反応で鼻水と涙まみれになりながら、ふとわれに帰る。捨てようと思ったものと捨てないと決めたものと、どっちつかずのものが、部屋中に散らかっている。カオス。事態はもはやこれ以上あとへも先へも進めなくなってしまう。


そこで僕は妥協点を探し始める。自分の理想と現実の妥協点。一体僕はどれくらいの強度で整然とした部屋に住みたいと思っていたんだろうか。思い過ごしか。気の迷いか。あるいはどれくらい雑然としていても平気なんだろうか。これらの事物をどこまで捨てることに僕の良心や倹約の精神は耐えられるのだろうか。考えが深まるといつのまにか、結局僕って何がしたいんだろう?となり、最終的に僕って何?ってことになって敗北デス。


で、今回もゲームオーバーしそう(末期)なので、とりあえずその敗戦の理論をここにこうやってしるす事で超越しようと思う。果たしてブログは僕を救えるのだろうか。今僕の部屋は焼け野原である。現場からお伝えしました。