病院受験のはずが「死」を感じた一日

eupketcha2006-08-20


昨日の病院受験はまあまあ軽いジャブ、今日のはちょっとヘビーだった。たくさんのお医者さんと一人一人対面する方式で、十二人くらい。それぞれに同じように病院の志望動機を繰り返し、繰り返ししゃべっているあいだに、はっきりしたのは自分が医師をするにあたって一番興味あることは「目の前にいる人がいつ死ぬか判りたい」ということだった。(もちろんそのようなことを直接的にしゃべったわけではないが)


思えば今日はただの病院試験なのに妙に死について考える一日だった。一緒に受けていた友人から某先生のあんまり衝撃的な突然の死の話について聞いた。その話をしていたレストランの、横で食べている患者さんのおばあさんは、強い黄疸が出ていた。急性心筋梗塞、ショック、子宮外妊娠、問われる知識の多くは死の臭いがする。神経内科の先生の質問はALSの話、某病院見学でたくさんALSに苦しむ患者さんとその家族を観たことが思い出された。帰ってテレビをつけると、笑点歌丸さんが、三角巾を頭につけて、幽霊でお題を出している。


もちろんここからは医学から離れた空想の世界だが、そうやって目の前の人がいつ死ぬかばっかり考えて人を見ているとぱっと観て「この人死にそう」「この人は大丈夫」と分かってしまうかもしれないと、ふと怖くなった。「シックス・センス」というか、もうそこまで看えると「生きたまま死んでる」といった心境に至りそうな気がした。それは怖いけれども、孤独で安らかな心境だとも思った。この感覚を僕はこれから「死体感覚」とでも言おうと思うが、そういったものに憬れて医師を目指して来たのではないかと、疲労感の中で今日は錯覚した。あくまで錯覚だと信じたい。今日はもう何も手がつかない。


(写真は全く関係なくて、こないだ帰省のときに京都駅のカフェ・アマンドで撮った)