実家に帰っていた

eupketcha2006-08-17

一週間ばかり実家に帰っていました。以下は忘れないためのメモ、つまらないですが、日記とはつまらないものです。


8/12 某大学病院の説明会に出たあと、スーツのまま新大阪へ。そのまま同窓会会場のなんばへ。なんばも変わった。南街劇場は今やマルイになってしまった。誤解を招きかねないことを承知で言うと、みんな独自の哲学を獲得していて、独自の意見を持ちつつあって、好き勝手に喋って、お互い何の影響も与えなくなりつつある。関係性がmixi的になりつつある。それが感想。まあそんなものか。


8/13・14 某報道関係の会社で、京都局長に就任したおじさんを祝うとかこつけて、京都へ遊びに。祇園の料亭で食べさせてもらった。転勤した途端に、茶道関係とか、お寺関係とかで、毎日飲んでいる。その会合の数は100もある。こういうところで政財界が動くというのが、いかにも京都らしい陰湿さで、素敵だ。たとえばホストによって持って行くお菓子が決まっていて、間違えてはいけない。恐ろしいところどすなぁ。そしておじさんは確実にメタボリックに向かっている。
 おじさんの勧めた宿に泊まった。岡崎の方のラブホ街の中に隠れるように存在するその宿は、ちょっとモダンな隠れ家風だ。バーでウエルカムされて、ひのきのお風呂に入って、朝はマクロヴィオティック。ちょっとセレブな京都を体験してしまった。客はうちの家族以外に一人だけ。随所に光る女将さんのセンスだが、唯一気になったのは純和風モダンの旅館のくせに、従業員の服装が着物でなくてメイド喫茶風ということだ。そんな素敵な女将さんもDMに苦しむ。


8/15 久々に地元の花火大会を河原で観た。河原は最近整備されて、すっかり近代的な感じになっていた。なかなかいいんじゃないでしょうか。ステージとか作ってあって、上手く使えば、街おこしに使えるかもね。いとこの家族が遊びに来て、一緒に観た。いとこ兄は結婚していて、嫁さんと一歳半の娘を連れて来ていた。何とかなつかせようとしたが、どうもだめ。じーちゃん、ぱぱ、ままに対抗するには、僕はやはりおじさんで売るしかないんだろうが、まだおじさんと言われるのには抵抗があったのが問題だ。小さい子供をなつかせるにはまず呼び名を確定させないといけない。「ほーら、おじさんの方においで。」無理無理。
 いとこ妹も結婚寸前だ。この結婚相手は偶然僕の実家のある街で働いている。今日いとこが遊びにくるのを知って、うちまで迎えにやってきて、二人で花火を観に行った。ところがこの男、花火の途中でお腹が痛くなってきて、花火どころではなくなった。冷や汗をかき、顔は真っ青。しょうがないので、花火を途中であきらめ、いとこは駅まで送った。丁度駅から戻る頃、花火も終わって、いとこは一人で帰って来た。うちではまあ「いい人そうだね。」ということになった。みんなで「結婚できない男」を観た。


8/16 花火の二日目。明らかに今日は昨日に比べて景気のいい感じだ。親父の話だと昔は三分に一回くらいしか打ち上がっていなかったらしい。今では一時間のあいだにほとんど息もつかせず花火があがっている。会場にはどっから湧いて来たのか、明らかにうちの街の人口を上回る人出だ。しかしこんな時代でも、「田舎びた」感じというものがあるんだね。肌の色とか、顔の表情とか、なんというか、色々微妙に違って、総合すると、こんな集団は東京ではありえない。もちろん僕もここから出て来たということは捨て去れないのだろう。うまくいかせないものかね。ま、どこからでも花火が観れるというのは田舎のよさです。風になびくナイアガラは不覚にも泣けた。「魚影の群れ」思い出した。