無意識の自分に対する期待値

近頃頻繁に見られる医学生の悪い病気は話の折々に「せんせぇ」とつけたがる病だ。これはBSLを通して、医師の世界で、お互いを「せんせい」と呼び合うことを見て知った医学生たちが、本当はまだ「せんせい」と呼ばれる立場でないはずの同級生に対して使う。表記は「せんせい」ではなく「せんせぇ」となる。


用例
「クエバンやってる?」
「もう3周目だよ。」
「さすがです、せんせぇ」


本用例でも分かる通り、このせんせぇには明らかに、相手に対して自分を卑下する感情が表れる。また、相手の発言に対しての動揺を隠す意義もわずかながらあるし、ちょっとした嫌味でもある。


嫌味が強調された用例(ちなみにこの用例は私が耳にした実話に基づく)


「朝も昼もクエバンやってるからね。当然ですよ。」
「あれ、夜は何やってるんですか。」
「いや、そんな決まってるじゃないか。」
「さすがです、せんせぇ」


こういう「せんせぇ」って嫌らしい、使いたくないと思っている癖に、やたらと多用している自分をときどき発見してひどく失望することがある。自分の信条を無視して、その場をやり過ごすためだけになぜか使いたくもない言葉がでてしまう。そういう精神作用の現れが無意識的に積み重なる度に、自分に深い失望を覚える。信条をもつ思いが弱すぎるのか、あるいは、無意識の自分への期待が強すぎるのか。


「ダメですよ、せんせぇ。日記ばっか書いてちゃ。」
「すいません。ダメだとはわかってるんですが。ついつい。」
「せんせぇ、やだなー。自分の日記が面白いとか思っているんでしょう。」
「いや、そんなことは全然。」
「隠したって無駄ですよ。せんせぇ」
「だから、そんなことないって!」


こうして今日も夜が更ける。