スポーツ万歳

ワールドカップ観ててつくづく思うのは、スポーツと暴力の関連性だ。人間誰だってふっと暴力をふるいたくなることがある。僕は非力だから負けは目に見えてるので、やるだけ無駄だと思うし、恥ずかしいし、そうやって衝動を飼いならすことで理性とか社会性を発達させてきたみたいなところがあるが、ああいうワールドカップで驚くべきプレーを繰り広げている身体能力の高い方々がもしそういう発達をしなかった場合どうなっていただろう。想像するだに恐ろしい。僕のようなひ弱でぐずで、くだらないことばかりしゃべっている、暗いオタクのような人種はあっという間にその衝動的暴力の餌食となって路上でなぶり殺されるだろう。別に彼らがそんな理性のない人間だと言っている訳ではないが、彼らがその身体能力を変な方向に向けなくてすむ職場があって本当によかったと思う。


古代ギリシャオリンピア競技が戦争を中断してやっていたというのもこうして観るとうなずける。戦争とスポーツは暴力で関連する。それは「暴力をふるう欲求」のみならず、より大きな「暴力を観たいという欲求」を産む。この二者の関係は生産と消費のようなものだ。この欲望の市場がいかに大きいか、端的に表すのは古代ローマの剣闘士だ。暴力は金になる。暴力は市場だ。その市場を公に開催できる戦争時よりもむしろ、それが葬り去られて当然であるとされる平和なときの方が問題だ。大変だ、このままでは暴力が暴発してしまう!そこでスポーツの出番。スポーツの使命は潜在的暴力を昇華することにある。たまにスポーツが元で戦争とか起きたりするのもその使命を考えれば当然なのだ。スポーツがなければ社会は混乱する。スポーツがあって本当によかった。助かった。