五月祭勝手な短観

もう今年でこのお祭りに行けるのも最後かもしれないと思うと、こんなくだらないと思っていた祭りもあながち泣けてくる。昨年はうつになって逃げ回っていたが、勿体ないことをした。特筆したい今回の五月祭を通しての最大の収穫は、「異質な世代」と勝手に見限っていた二個下三個下の学年のやっていることが結構理解できたということだ。僕がよく見てなかったからか、彼らが成長したのか。ともかく遠隔的に「早く出て行け」という包囲網が完全に築かれていた。


私も二年前に関わった医学部企画なんか、圧倒的。政治家とか官僚を集めてパネルディスカッションを繰り広げていたし、発表もみんな上手かったし、映画まで作ってた。(ちなみにこれを作ったのは僕と同じ学年の映研人なんで、後輩の頑張りには入らないかもしれない。)なんといってもこの学年の同級生がやたらとまとまっていることに羨望すら感じた。何と言うか華やかだった。


あとで聞いてわかったけど、この学年女子はそれほど多くない。しかし、発表や受付の様子をうかがうと結構女子が多い学年だという印象を受けた。要は少ない女子全員が、少ないながらも、ほぼ全員発表に加わっていたのだ。しかも一つの班に固まることなく適度にばらついていた。そうかそれで妙に華やかだったのか。


ここからはかなり暴言だが、ある集団が何班かに分かれてチームを組むとき、女性が適度にばらつくということはかなり重要だ。これはもう好きだ嫌いだ、惚れたはれただ、性欲だ、とかなんとかそういう議論よりももっと表面的な層で、見たら明らかに分かるレベルで、理想的に感じる。だってチームってそもそもそういうイメージじゃない?


でも男女平等がうたわれる前にそういうイメージはなかったに違いない。とすると、このイメージはやはり教育と、トレンディドラマの影響なんだろうか。よく分からないが、少なくとも僕に関しては、野郎ばかりはもうイヤです。寮で十分です。