続・GWがもう終わってしまう!

今日、表参道で

おや?と思った地下鉄の口の人だかり、のぞいてみたら紺のシトローエンがかわいいお尻を見せていた。
警官「酔っぱらいが車で、駅突っ込んじゃったんです」
見た目の惨事の割には軽い口調だ。どうやら死んだ人はいないらしい。
レッカーがゆっくり、ゆっくりと引き揚げられる。みんな一斉に携帯電話を振りかざす。
ちょっと嫌な予感がした。
警官「立ち止まらないで!」

なんで表参道にいたのか

三年半の工事に入る直前の根津美術館に行ってきた。総力特集のようなことが書かれていたがちょっと僕には物足りない感じがした。尾形光琳の燕子花図、円山応挙の藤花図がfeaturingだけど、鶴沢探鯨という人の草花図が小作ながら色遣いがいい気がした。青磁器の展示について文句を言っているおばさんがいた。
「もっとちゃんと説明書いてくれなきゃ、わからないじゃない。何なのよ一体これは」
妙に苛々してきたので、さっさと外に出て庭園におりた。風の重みで緑が生えるかえでの枝の先が水につく。風が止んで、枝が上に押し戻されでは、水をはじいていた。ふとそのかえでの枝振りの下を覗くと、あらら、燕子花。

序でに表参道ヒルズ

一瞬行ってみたら、人があんまりいるので、これは何かの間違いだと、すぐに出てきてしまった。
そこから原宿駅までひとがまるで○○○のようでした。もちろん僕もその○○○の一体としてのそのそと歩くしかないのでした。のそのそと歩きながらこんなこと考えていました。

今日根津美術館で、桃山時代という言葉にやたらと納得している人がいた。『あーなるほど信長ね』この台詞に私は少し馬鹿っぽく聞こえるという失礼な印象を抱いた。

しかし何が馬鹿っぽいのだろうか。おそらくこの人は桃山→信長という連結された記憶がでてきた、ただそれだけのことに妙な納得を覚えた。逆に言えば、これがこの人の知識の限界であり、信長の時代だから画風がこうだとか、信長の時代ということはどこで流行っていた、とかまでは知識が及んでいないように一見見える。だからちょっと馬鹿っぽく見えてしまう。納得は知識の限界を示すから馬鹿っぽいという法則。
この法則を無意識的に気づいていた私はいつも、納得の言葉、『なるほど』とか『へー』とか使うときに慎重になる。果たしてここで納得しては馬鹿っぽくないか?もう少し待ってから納得してみようか?思えばこうして積み重ねた『偽りの納得』の上に今の自分がある気がしてきた。あれも知ってるふりをして、これも知ってるふりをして、色々知っているように醸し出して…。いつの日か化けの皮がはがれるだろう。ともかく、私の周囲の人は、僕が納得しているときは気をつけてほしい。