前野良沢について追記

前野は小さい頃に両親と死(?)別して孤児になり、伯父さんの宮田全沢という山城の国のお医者様に育てられたそうです。この宮田が前野に教えたこと
「世の中には、捨てておくとそのまま絶え果ててしまうものがある。時々の流行物で誰も彼もするような物はどうでも良い。何でもかまわぬから廃れてしまいそうなことを習い覚えて、そのことの後の世に伝わるようにする心懸けが肝要だ。」


この教えを真に受けた前野は、甘藷先生で有名な青木昆陽ぐらいしかしっかりと修めたものがなく、まさに廃れようとしていた蘭学を昆陽に教えてもらって、日本のサイエンスの未来をかろうじてバトンしました。


(ここからは僕の思い込みですが)要は前野は蘭語オタクでした。世間から見れば何がやりたいのかよくわからなかった「オタク」なことを前野がやり抜いたことで、今の日本の科学があったのです。「オタク」文化の隆盛は、何も最近始まった事ではない。戦争周辺の一時期あまり目立たなくなっていたのが世間が平和になって、マスコミが多様になって、それで復活してきただけ。数寄な殿様たちに支えられた、オタク文化華やかなりし江戸の様子が、「おらんだ正月」で垣間みれます。