前野良沢に見る現代日本の…

最近ある御仁にお借りした「おらんだ正月」という本を読書しています。江戸時代に学問とはどのようであったか、50余名の江戸の学者たちの列伝によって綴られています。


前野良沢はその中でも典型的大偉人で、中学の日本史にも出てきました。ただし、あの「ターヘルアナトミア」を翻訳した杉田玄白を手伝った人という記憶のされ方ではないでしょううか。僕はそうでした。


「おらんだ正月」によるとそんなことはとんでもなくて、実は杉田他多数の人々を束ね、蘭語を一から教え込み、結局のところ半分以上は前野自らの手によって「解体新書」は完成したのだそうです。いざ出版する段になり、「私が学問を志したのは、名を売るためではございません。」と序文執筆をことわったのだそうです。


日本人の学問に対する美徳と弱点は結局この前野先生の「美談」に集約されている気がします。今の世界だと名前を売るために学問をやっていないなんていうと、本当に何もできなくなってしまいます。名前が売れていない人に誰もお金を出さないからです。そしてここまで科学が進んだ現代で、お金なしに科学に寄与することは本当に大変なことです。


それで結局、論文でインパクトファクターを稼いだ「名前」が勝つわけです。共著に名を連ねるための生き馬の眼を抜く熾烈な争いが、現代の学問を象徴しています。ところが、現代でも前野良沢のような美徳がひっそりと皆心の奥に思っていて、それが日本の科学が世界に勝てない遠因になっているような気がしないでもないのです。更にその謙虚さを悪用して、部下をこきつかう上司が横行しているような気がしてなりません。結局、前野先生の残した言葉が日本の科学を皮肉ながら蝕んでしまっている。


じゃあ江戸ではなぜ名前を残さない人が、学問できたのでしょうか?それはもうちゃーんと世の中を見ているお殿様がいたからでございます。奥平昌鹿という殿様が前野の後ろ立てになりました。「前野には遣りたいことを遣らせておくのがよい。」現代でもお金を出す人はやはりこうあってほしいものですね。奥平は前野を「蘭学の化け物」とたとえ、前野はその後、前野蘭化と名乗りました。