セブンスコンチネント祭り

部屋が一向に片付かないので、使えるものでも使っていないものは大量虐殺することにした。名付けてセブンスコンチネント祭り。名前は一家心中の前に家財道具を一切合財破壊するミヒャエルハネケの映画にちなんだ。


衣服などは半分くらいが虐殺対象となった。果たして衣服をつめたごみ袋が大量に玄関先に置かれたが、いざ捨てようという段になって、むくむくと「ちともったいないんでないかい」という声が聞こえてきた。元来この祭りではこの種の囁きに耳を傾けてはいけないルールなのだが、いかんせんこうも大量になると流石に良心が痛み始めた。


そういえば昔東京シティボーイズのネタでソマリ○へ送る古着を仕分けする三人の男の話があったの思い出す。そうだあれだ、貧しい「発展途上国」の人たちにこの服を送ればいいではないか。早速ググってみると意外に現状はシビアだ。


まず現地までの送料を払わなければいけない。これはまあ当然といえば当然だが、「それならその送料分寄付した方が、いくらかためになる」的なコメントがあった。同じ金額で現地でもっとたくさん安い服が買えるそうだ。古着はそんな手間とお金をかけて送るほどには需要が無く、もっと希求されているものがあるということだろう。


それからこんな意見も。「買った服はちゃんと使い切れ。最後には台所の油もしみこませろ。」確かに、それを言われるとこのお祭りの発想自体が恥ずかしい。不覚にも自己嫌悪というデプレッションの波が押し寄せてくる。衣服を切って雑巾にするなんてどうせ温室育ちの私にはできません。宇宙船地球号のみんな、ごめん。


古着を国内で集めて売り、その売り上げを寄付にするという折衷的な方策は大変魅力的だ。しかし冬物はだめとか、シミがあるのはだめとか色々条件が厳しかった。どうやら供給過多らしい。ゴミ捨て代わりに送る僕みたいな人が大量にいるんだろう。結局は処分される日数と場所が少し変わる程度なのかもしれない。


逡巡した挙げ句に虐殺を続行することにした。君たちは私の責任において処分します。私は君らの無念や怨念を一身に背負って生きていきます。休憩にDVDのティムバートンの「ビッグ・フィッシュ」を観たら不覚にもぼろぼろに泣いてしまった。映画でこんなに泣いたのは始めてだ。もう四月も終わる。