「トスカーナの贋作」と「東京公園」

どうでもいいことだが、私の父は小津安二郎監督作品が嫌いで、笠智衆さんの演技が嫌いだ。その反動からか、大学時代には小津作品はこんなにも面白いものか、これが嫌いだなんてどういう感性だとすら思いながら、笠智衆の「ありがと、ありがと」に感極まって涙を流しそうないきおいでこれらを観、今でも好きである。小津監督と言えば私のようなものが語ることもはばかれるくらい研究し尽くされ、愛好する映画監督も多いが、なかなかその手法を真っ向から取り入れる事は少ないのかも思っていたら、立て続けに2本、小津の魔法にかかった様な映画をみた。

まずはじめにアッバスキアロスタミ監督の「トスカーナの贋作」、ついで青山真治監督の「東京公園」。前者は特に人の顔と顔を突き合わせるという、一見嘘をつけない、真実をつきつけられるような小津技法を逆手にとって、突如別のドラマになり真実がなんなんだかわけがわからなくなり、観客に一杯食わせるという、言わば「小津変法」を用いており、大変面白かった。後者は、緩い感じの若者の会話に小津法を用いるというやり方で、現代に小津が生きていればきっとこんな映画を撮ったかもしれないと思わせた。

いずれにせよ、顔を真正面から付き合わされるシーンは基本的に気恥ずかしく、うまくやらないと白けるところを役者たちが非常にいい働きを見せていてよかった。これが小津法の最も大事な点なんだろうと思った。

ところで小津と関係なくなるのですが、井川遥って、特にしゃべらずに遠目から見たシーンで登場するだけで、ああ見た男性は恋に落ちたなと思わせる説得力って、全くトウキョウソナタと同じだというのも面白かった。