ヒアアフター

eupketcha2011-03-20


(東北地方太平洋沖地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げます。現場で支援にたずさっている方、本当にお疲れ様です。)

地震の起こる直前に、今は上映中止となっ(てしまっ)たヒアアフターを観た。イーストウッドの演出力の安定感は既に神のレベルで、もはや映画を鑑賞するという以前に感情的な反応が大きい。

仕事柄、コンテクストのない、言わば点のような死をもうたくさん(傍)観てきたせいか、むしろコンテクストのあるような、線のような死の受容について、もはや無頓着と言っていいレベルに達していたが、それがこの映画で不意に引きずり出された。小さい頃、手塚治虫の「ブッダ」を読んだとき、死について、死の暗闇について考えたあげく、作中の「ブッダ」と共鳴したような感じがして、ついにわんわんと泣き出してしまった、そんなおさな心に帰して封じ込めておいた、感情の棺を、あっさりと叩き割られてしまった感じだ。途方もなく先のことと思って追いやっていた「死」が、肩の上に乗っかってしまった。

この映画はそんな「死」が、肩の上に乗っかって封じ込められなくなってしまった人々が、どうやって前向きに生きていけるかという、そういう映画であると解釈している。映画を観て一週間後、まさか、ここまで否応もなく、「死」が迫るようなことが起こるとは思いもよらなかった。おそらく大勢の人が感じているのだろう。「テレビを観ていると鬱になる」とか「買い占め」もそうなのだろう。一方で、何とか支援したいと思う気持ちも、やはり自らの死の感覚と切り離せないことと思う。

死はもともとみんな独自のやり方で、飼い慣らしているんだろうが、今回のことで、その閾値が大きくずれた人が多いと思う。これをいかに受容するか。そういうことを考えるきっかけとして、これからむしろ必要とされる映画ではないか。イーストウッド氏はDVDの売り上げを義援金にすることを検討しているようだ。