医者をはじめてはや半年が過ぎ

電話で上の先生に指示をあおぎながら、真夜中に急変した患者さんを対応していたら朝を迎えたりする様なこともあった。
あのときのおばあさんは、真っ青な顔をしていたが、朝になったら血色もよくなり「先生ありがとう」と言ってくれた。
珍しく医者らしい充実感に満ちた朝であった。

それから二ヶ月過ぎた。科も変わった。
今の病棟チーフから電話があり、救急外来にターミナルの患者が来たから手伝ってくれという。
行ってみるとまだ五十にいかない男が危篤で、どうにも呼吸状態が改善しない。
既に救急部から状況説明を受けて泣き叫ぶ家族が彼を取り囲んでいた。
この男は当科かかりつけであり、大分前からターミナルであったのが、いよいよ呼吸ができなくなってきて救急搬送されたようだ。
しかし、彼には遠方に息子がいて、家族はその二人の再開を願っていた。
僕のミッションは何とかこの息子が病院にたどりつくまで、この男を生かしておくということだった。
男は緊急入院となり、救急部から換気量をあげて二酸化炭素を飛ばす仕事を僕が引き継ぐことになった。
気重く手袋をはめたその瞬間、あのおばあさんがふと眼前に現れたのである。
思わずお互い「あっ」と声に出してしまった。
どうやらあのおばあさんはこの瀕死の男の母親であったのである。
偶然というか、運命の巡り合わせというか、何とも表現しきれずにもどかしいこの状況の奥床しさに思わず体が震えた。
すっかり元気になったおばあさんと、死にいくその息子と、赤の他人ながらその生死の境目に立ち会った僕がいるのである。

僕は知らない内に前線に立たされていたのである。いつの間にか 赤の他人 など呑気なことを言っていられなくなっていた。

男は若さからか奇跡的にその息子の到着まで命を長らえることができ、その翌朝息を引き取った。
そんな日も僕は他の下らない雑用に終われ、急速にまた赤の他人に戻って行ったのである。