さかさま

 カルタゲナー症候群という病気をご存知だろうか。有名な症状の1つが、内臓逆位症だ。肝臓が左について、胃が右についている、脾臓膵臓も右についている。あのブラックジャックが手こずってピノコに鏡を持ってもらって手術をしたことで有名な「奇形」である。僕の中学高校時代の友人Fの父親がカルタゲナーだった。

 
 Fはこの親父さんの影響からだろうか、クラスでも有名なキノコ好きだった。学校の行事で山などに行ったときには彼はそのキノコ知識を遺憾なく発揮し、分類し、食べれるか食べれないかコメントを述べてくれた。「これはカサタケ、それはヒラタケやね。」まだマジックマッシュルームが合法だった時代に是非捜しに行こうと何度か誘われたことがある。面倒くさくて断っていたが、惜しいことをしたと思う。マジックマッシュルームがきっかけか、彼は中島らもを知り、信奉し、合法ドラッグ探索に勤しんでいた時期もあった。


 Fは博学で、色んなことに詳しかったが、その知識はいつもなぜか「ムー」に掲載されているような怪しさがあった。あるときは、あまりの速度で動いているために目に見えない生物がいることを熱く語っていたし、あるときはタイムマシンでなぜAという人物が過去の同一人物A'に触ってはいけないかということについて論理的に証明してくれたりした。


 その彼がある日また怪しく、おぞましいことを言い出した。「eupketchaはん、eupketchaはん。うちの親父ね、あれ、鼻にキノコが生えててん。怖いなぁ。キノコ鼻に生えるんやで。なんかお医者さんで、縛って切断して来てた言うてたわ。痛かったって。でも切っても切っても生えて来るねん。」彼はいたって真剣で、父親の鼻にキノコが生えた話をするのである。しかもキノコ好きの彼の言うことである。僕はこの不思議な事柄を /世の中には人の鼻に生えるキノコの一種があって、その胞子を吸い込んだら鼻の孔の中がキノコだらけになってしまう!しかしそんなキノコは普段は人里にないはずだ。なぜ?? ーそうか、山奥深くにわけいったFの父親はパンドラの箱を開けてしまったんだ、きっと!あるいは自らを人体実験に使ったのかもしれない!しかし、その胞子が飛んで来たら大変だー鼻からキノコが生えて来てしまう!いや、もうすでに遅いかもしれないー。おれの鼻の孔にはもう胞子が付着してだんだん成長して来て・・/ という風に受け取ってしまったのである。


 大体彼の住んでいる土地柄を僕は怪しんでいた。学文路と書いて「かむろ」と読むところも怪しげだったし、人魚の木乃伊で有名というのも怪しかった。(有栖川有栖の「海のある奈良に死す」参照)隣の県だったが、よく自転車で一時間以上もかけて遊びにいっていた。だから親父さんにもよくあっていた。柔和で、飄々としている所がFとそっくりだ。しかし、どうもその日から訝しい思いを持つようになってしまった。この人は内臓がさかさまなんだ!その上に鼻から胞子が飛び出して来るぞ!気をつけろ!


 永年の疑惑が晴れたのはつい一昨日のことである。カルタゲナー症候群はimmortile cilia症候群という病型に分類されることが分かって来ている。ciliaは線毛、あるいは鞭毛のことで、細胞表面の微細な毛、いわゆる9+2構造を持つ一群の分子構造物のことだが、カルタゲナーはどうもこの微細な毛の病気らしい。この毛がうまく働かないと右→左への物質の動きが妨げられ、最終的に内臓逆位になるという。このことは3年生くらいのときに知っていたが、他の部位の病変については考えてなかった。精子は例えば鞭毛によって動くが、カルタゲナーではこの動きが妨げられ男性不妊の原因となる。また、気道粘膜にある繊毛の動きが悪いと、菌を追い出せずに、気管支炎や副鼻腔炎に何度もかかる。これも4年くらいのときに知っていたがさらにその先は知らなかった。慢性副鼻腔炎は、副鼻腔粘膜に反復する刺激を与える。すると粘膜が反応して、肥厚・成長してポリープを作るのだ。このnasal polypのことを日本語で『鼻茸(!)』というのだった。これも5年くらいに知っていた。ただそれが中学時代のあのおぞましい思いとつながるのに1年くらいかかったのである。カルタゲナーに関する問題を解いて急に思いついた、ああこれのことだったかと。


 Fの親父さんにはすぐにでも学文路に行って謝ってきたいと思った。疑ってごめんなさい。そしてそれは本当に知識って素晴らしいと再確認した瞬間である。Fはよく動きの悪い精子から生まれて来た物だ。彼は一緒にT大に入学、入学後二次元の世界に魅了されていた時期もあったようで、その頃から音信不通になった。先日5年ぶりくらいに体育館であったら、「ああ見つかってしまった。」と寂しいことを言われた。農学部に進学したようである。