今週は精神科の勉強をしました。

 例えば僕は昔から鋏が上手く使えなくて、紙を切ると必ずどこか曲がってしまう。いまだに靴ひもはうまく結べなくて、1日何回もひもを結んでいます。ねぎの小口切りはいくらやってもできない。これをひとは不器用と呼ぶ。ところが素晴らしき偉大なる精神科学の世界においては「発達協調運動障害」という立派な病名を持った不器用があって、晴れて僕はまた新たな病気をゲットできそうである。


 二十歳までできなかったらもうできないという都市伝説にのっとれば、逆上がりはついにできなかった。走るのも非常に遅くて、小学校の頃はマラソンで「百人抜き」ならぬ、「百人抜かれ」を自慢していたことがある。友人からも「お前に走りで負けたら終わりだ」とはっきり言われたことを今でも覚えている。そのときは何て酷いと思ったが、さもありなん、そう言われても仕方がない遅さだった。太っているのが原因だと思い、痩せてみたが状況は変わらず。むしろ、一見スポーツできそうなのに、できないというださださの逆ギャップまで生じてしまった。

 
 ここまでの運動音痴は僕は出会ったことがないが、まあしかし広い世の中、そう稀ではないだろう。こういう人たち、特に小学校くらいの子供たちの最大の問題は、同級生と遊べないということだ。僕の場合は能天気にも、「遊べないのではなくて、遊ばないのだ」と思っていたので気にはならなかったし、視力の弱い友達とか必ず運動ができない人が周りにいて仲良くしていたものだったが、これが原因でクラスに馴染めないという子供たち(clumsy children)は世界にたくさんいるのである。


 かくして精神科の寛大なる先生達は悩める我々に「発達性協調運動障害」という素敵な名前を授けたもうたのである。別段治療法が確立されたわけではない。しかし、病名が授けられたことによって、「将来治るかもしれない。」という希望を我々に与えてくれたのである。ああありがたやー、ありがたやー、私に病気をくださってありがたやー、いつか治療法ができることを約束してくれてありがたやー、たとえ治療されていなかろうが、この恩義は忘れまじと、「治療費」を奉納いたし感謝いたしまするー。ああありがたや、ありがたや。


 ちなみに以前mixiにも書いたが、こんな私を少し救ってくれたのが解剖学であった。いくら見よう見まねで体を動かしても必ずどこか変な筋肉や関節を動かしてしまう(協調運動障害の症状)私だったが、「〜筋を動かす」とか「〜関節を曲げる」とかいう言葉を使うことで運動に関してのコミュニケーションをとることが可能になり、やっと達成できた動きが結構あるのだ。ついにバタフライも(大分下手ではあるが)できるようになった。さて、私がもし精神科医になったとして、この「解剖学療法」を確立したら成功するだろうか?どうだろうか。


 ま、無理かな。勉強ははかどらないがこういうくだらないアイデアばかりが浮かび、そして消えて行く。