卒試験終了に関して一言二言三言四言虚言妄言


(打ち上げから飲み続けていまだに酔いが醒めない。腹が痛い。苦しい。タスケテクレ。眠れ。いや眠るな。やっぱり眠れ。ダメダ!)


安部公房もかつて苦しみ一年卒業が遅れてしまった、長大でかつ凶悪な卒業試験群の前半戦がようやく終了した。
僕個人としては夏の間にしていたわずかばかりの勉強の復習ができて、皆が言う程のうざさは感じず、むしろ有意義だと思った。
実際卒試を5つ以上落とすと、国試も落ちる確率が90%、逆に4つ以内だと国試に受かる確率がほぼ100%というデータは、結構卒試っていいんじゃないかと思わせる。
教授の口頭試問に想像を絶するひより方をする対人恐怖の僕にとって、BSL(病院実習のこと、各科ごとに教授試問というものがある)よりも楽しい一ヶ月だった。
なぜか片付けも進んだ。


困った事はとどのつまり自分が何をしたいのか、したかったのか、すべきか、あるいはしてはいけないことは何か、さっぱりわからなくなったことだ。


医療とは基礎医学の知識に基づいて病態を推定し、その推定に基づいてup to dateでありEBMに裏打ちされた治療を行うことだと思う。
医者の仕事は時間的配分を考えると、ほとんど後半が全てであろう。
しかし、誤解を承知で書くと、up to dateな治療方針というのはイヤーノートにほぼ全部収まっているわけで、診断さえ決まれば治療は流れ作業と言っても過言ではない。
(別に患者さんへの接し方とか患者の選択権も流れ作業的に済ませろといっているわけではないのです。それは医学以前の能力の話だと思うので。)
問題なのは前半部分である。
病態を推定する事こそ、様々な基礎的な知識と経験から導かれるもので、色んな事を勉強して来たはずの医師の使命である。
やはり基礎的なことを大事にしてきた僕の勉強は間違っていなかったと卒試を解いていても思った。
案外、治療とかの説明でも病態に基づいて書けば、丸暗記していなくても色々と書けることがあるものだと感じたからだ。


しかし、そんな偉そうな事を言いながら、同時に逆説的に気付くのは、多少勉強したとは言え、全然基礎的な勉強が足りないことである。
ガイトン生理学やら、スネル解剖学やらを随分丁寧に読んだのにその端から忘れていっている。
それでも読むべきなんだろうか。それとも記憶力のなさを恨んで終わればいいんだろうか。何回も読めば覚えられるんだろうか。だとすれば何回でも読むべきなのか。


そんなことを考えていたら、もう何になるか以前の問題で基礎を勉強すべきであるような気がして来る。
基礎医学はあくまで医師になる手段ととらえていたはずが、それ自体が目的と化している。
この矛盾を脱却しないと、何になるか決められない。
しかし何になるか決まらないと、この矛盾から脱却できないのである。
完全に自分の頭の中で自分をトラップしてしまった。
自分の頭の中からもう抜出せないかもしれないという、この恐怖!
この、卒試(と泡盛)が作り出した一つのホラーが今日の僕を苦しめているのです。


そこで埒があかないので、いっそ全部忘れて卒業制作映画でも撮ろうかと思うのですがどうでしょうか。