はじめに

始めた途端になんでブログなんか始めたんだという気分になっています。直前の自分のmixi日記を読むとどうやら、eupketchaという人間は「パスポートをなくした」という(T学園受験失敗以来の)挫折を味わったことがきっかけで、日記をしばらく書かなくなると「話していることがまとまらなくなり」、それをきっかけに「日記をまとめるということの重要性」に気づき、自らを「日記依存症」と位置付け、ブログを書こうと思い立ったようです。なるほどね。でも悪いけど今更になって全然実感ないわ。本当にそんなことを思っていたんだろうか?


四月四日午後四時のフライトで私は台湾へ飛び立つ予定でした。その直前にmixiにある種の熱気と怒りをもって「すずかけ」に関する日記を書いたのが午前二時頃で、その直後私はパスポートがなくなっているという衝撃的事実に気づきました。
(思えばあの日パスポートをいれておいたはずの鞄の位置は目を離した隙に動いていた)
すぐに確信をもって盗まれたと思い当たった私にとって、最早「パスポートを探す」という行為は時間の埋め草にすぎなかったのでした。じりじりと殺されて行くような感覚の中で淡々と私は自分がそのパスポートがなくなったであろう日に訪れた場所を巡礼してまわりました。最後通告はJTBのおじさんがあっさりと出してくれました。
「じゃあフライトキャンセルしておきますね。またご利用ください。」
(思えばあの日パスポートをいれておいたはずの鞄の位置は目を離した隙に動かされていた)


思うに私にとって日記とは決して自分の身に降り掛った出来事をそのまま記して記憶にとどめようという行為ではなく、半分は自分の過去を塗り直し、自分を正当化する作業で、もう半分はやりたくないことを遠回しにする作業、のようです。
(シンクには洗いものが溜まっている。)
いずれにせよ、そういう自覚をしながら日記を書いているわけだから、それはもはや立派な「自虐行為」なのです。果たしてそれが快感なんだろうか?


四月四日の午後四時を過ぎて、とりあえず病室の祖母に、「日本にいることになった」と一報を送る。存在するはずのなかった三日間の東京を前にして途方に暮れる。コンビニで一番安いワインを買ってらっぱ飲みをしながら、崩れて行く私と、案外冷静にそれを見つめる私という行ったり来たりを繰り返したあと、朝になり、C県I市にある祖母が入院している病院に見舞いに行く。眼を患う祖母はひとしきり怪しいサングラスをかけていたのだが、その日ばかりはその怪しさが救いだった。退院する祖母を連れ実家に帰ることにした。実家につくと驚く事に東京では既に散り際の桜が満開だった。新幹線でグリーン車を買わないというミスを私が犯したせいで、祖母は家に着くとすっかり疲れ、玄関先でころんと滑ってしまった。四月八日の午後四時頃。
慌てて祖母を起こしながら、この祖母がいなかったらどうなっていただろうかと柄にも無く考えていた。大学でお裁縫の勉強して、よくもまあ外科医の嫁になり、よくもまあ開腹手術などを手伝ったものだ。
「頼むから長生きしてくれよ 誰が庭の面倒観るんだよ」
(帰ってみると庭にあったちょっと立派な桜はばっさり切られていました。「桜の木には虫がわくんやで。あの桜枝振りがようて駐車場に張り出してたやろ。そしたら駐車場が虫だらけやがな。掃除するのも大変になってきたし、もうええわと思って切ってもらいましたんや。」祖母談)


家族からは嫌味を言われた。まあ実家なんてそんなもんです。後輩を訪れてはヒーロー気分を満喫するという、あまりみっとものよくない自己正当化で気分をよくしたのち、京都でひとしきりの花見をして東京に帰った。


「実家で何をしていたのか?」
みんな言う。「癒された」とは答えがたい。そうかもしれないが、それを認めるのはまあとにかくむかつく。何か「流れ」のようなものだ。これを説明してみたい。しかし自分の中でまとまっていなくてうまくて説明できない。そのもどかしさの中で、「あっこういうときに日記って便利かも」とふと思った。所詮その程度の動機である。あとはまあ春だからね。友人が勧めていたとか、色々ごちゃごちゃあるけど、とりあえずそんな感じでブログ始めまーす。まあたまに読んでやってね。