NODA MAP 「南へ」

eupketcha2011-03-27


時節柄、遊んでばかりと思われてしまうことに別に誰から直接言われているわけでもないのに異様なまでの恐縮を感じてしまうわけだが、私なりに私のできることをしているのだと納得させつつ、いや今だからこそ芸術という考えもあるかなと思い、前々から楽しみにしていたNODA MAP「南へ」、観てきた。そしたら、またこれがとてつもない偶然にも、災害危機管理がテーマになっており、ここでは火山の噴火ではあるが、現在の日本の状況を見るにつけ、その舞台にそもそも用意されていなかったあるいは、用意されていたが意味を補強するような別側面が突如表面化し、ある種暴走していて、野田さん含めスタッフの想像を超えた舞台に刻一刻と変貌しているんじゃないかと訳もなく感じてしまう、非常に特殊な体験ができた。

芸術の意味は様々な事象の影響を受け、時間単位で刻一刻と変わるものであるのだと、以前強く思ったのは、そう以前にもblogに書いた、二年前の夏、マイケルジャクソンの映像を加工したlive evilという作品が、まさに彼の生前死後で全く意味が変わってしまった、という瞬間であった。また卑近なもので言えば、つい昨日、ある先輩医師と飲んだときに、その方がある裏ビデオで流れていた曲が流れる度にその裏ビデオの気持ち悪さを思い出してしまうという、笑い話にもまたこの意味変容が出現しているのだと言えばわかってもらえるだろう。

しかし、今回ここまで説得力を持ってこの意味変容を感じられる機会もないかもしれない。今、芸術を手に入れると言うことが、ある人にとって不謹慎と感じられてしまうのもまたこの変容の一型であると心から理解ができる一方、今だからこそその変容する意味と、そこから享受されうる心の復活のようなものを受けるチャンスであると思う。これこそが芸術の存在する意味なんだとすら思う。

ところで、本舞台のおそらく本当の主旨であるところは実はかなり難解でわかりにくかった。いまだに色々と考えていてもその解釈が輪廻のようにまわってしまうのであり、日本人のアイデンティティが問われているような気もすれば、実はやはり「南」と「北」の話なんじゃないかという気もするが、これは考えすぎだね、きっと。いずれにせよ、蒼井優蒼井優にしかできないようなキャラクターを走らせ続けていっていたのに、妙な爽快感がある。