ブログ復帰

eupketcha2007-03-03

することにしました。細々と

医師国家試験の報告

 テコム様のご託宣によりますと、丁度偏差値50くらいで、合格できるラインにおります。偏差値50で余裕の合格です。素晴らしい試験、素晴らしい医師の世界。まああとはKinkiを踏んでいないかどうか、マークミスをしていないかどうかというところでしょうか。しかし過去問もろくに解かず、実に危ない橋を渡りました。最後一週間は不安発作にさいなまれる毎日でした。また同じく卒業試験に苦しんでいたはずの同級成陣が、ぐんぐん実力を挙げていく姿に圧倒されました。やはり私は身に余る大学の身に余る学部に入学してしまったようです。私を受からせてくれた後期試験は廃止され、「もう後期試験で受かるような人はいらないんだよ」という幻聴が聞こえ、コンプレックスはここに極まり、本当にあと一月で医師をしていいものかどうかという疑念の渦巻く今日このごろにございます。

卒業旅行

 というような疑念も吹っ飛ばすべく、各地を飛び回っています。国試翌日には博多にいました。いきなり迷い込んでしまった、そこは中州の歓楽街。「九州はこわかとこね。」さっぱりした社会人に変身していた友人の姿に感動しました。翌日は太宰府で、あとだしの合格祈願をしました。
 大分で、弁護士?の卵の後輩に、お得意のいじりを久々に披露されました。どうも僕はどこへ行ってもいじられます。別府の明礬温泉で泥湯をかぶりました。いまだにこのとき服やマフラーにこびりついた硫黄のにおいが消えません。
 船で宇和島に渡りました。折からの雨は、「お前が来たせいだ」とまた宇和島の知り合いのおじさま(自称、宇和島市川雷蔵)にいじられました。「宇和島は素材がよすぎて、加工が発展しなかったんだよ。だから鯛めしも宇和島のは刺身のまんまでおいしい。」おじさまの言葉通り、宇和島の刺身は絶品でした。
 翌日、宇和島市川雷蔵宇和島尾上菊五郎に連れられて、宇和島リアス式海岸をドライブしました。遊子(ゆす)の段々畑の景観を見れたのは貴重な経験でしたが、菊五郎氏の華麗なるハンドルさばきに、文字通り酔わされてぐったり。
 松山で労研饅頭をいただいて、高松でうどんを食い、直島に渡りました。直島で丁度始まったスタンダード2展を見てまわるとあっというまに時間が過ぎました。向こうから見たことのある顔が歩いてくると思ったら、あとで思い出した、あれこそ大竹伸朗さんだったのでした。多分。
 ほぼ丸一日滞在したのに、それでも見切れなかったのがあって残念でしたが、このスタンダード2がやっていなかったら、丸一日で十分観光できる。もし直島に行かれるならこのスタンダード2をやっている今がおすすめでしょう。4/15まで。
 東京に戻った翌日は、早くも実習斑四名とともに上海に飛び立ちました。上海は想像以上に大大大都市でした。どこを行っても人人人。二千万人いるらしい。列強支配の影響で、欧州風の建築物が多く、それがなんともいえない、大都市の雑多な感じを強調していて、歩いていて飽きません。もっとも有用だった中国語は「我是日本人(ウォーシーリーペンレン)」。デパートに入るとここは日本かと感じるくらいですから、基本的に服装や流行が東京と感覚に差異がない。これが田舎に行くと僕たちは絶対日本人だと一見でわかるようですが、上海では少なくともまずは中国語で話しかけられました。で「我是日本人」ととりあえず言うと、みんな中国語を止めてくれるのが面白くて何回も使ってしまいました。中国語のリズム、発音が好きになりました。時間があれば勉強したい。しかし、そんな時間はない。
 さらに続いて欧州に飛ぼうと計画中。まだ研修病院から連絡が来ないけど大丈夫なんだろうか・・・